プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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初心の魅力

1510エッセー 
東京小石川・善仁寺庭園2014 


幸か不幸か、人間に生まれてきて、女学生のころから
人間ってなんだろう と、今になっても思っている。
 
生まれた場所のお蔭で、極度の貧困を味わうこともな
く10代で両親を失うまで、ひだのない、のっぺらぼ
うの精神のまま過ごした。
 
歳月を経て、それこそ、馬齢を重ね、おぼろげながら、
この世で一番怖いもの、はたまた、素晴らしいのは、
人間ではないか、と 。 が打てるようになった。
 
作家は、己の人間観を筆にする。百人百色。読書の興
味は尽きない。
 
好きな作家の一人、城山三郎さんは、書いている。
 
「魅力とは、定義しにくい。けれども逆に、魅力がな
いとは何かを考えてみると、こちらはわかりやすい。
魅力のない人とはどういう人か、あなたの周りに、割
に多いんじゃないか。
 
それは、型にはまった人。これは魅力がない。
周りに大勢いるということは、人間、つい、すぐに型
にはまった暮らしをしてしまう。あるいは、型にはま
った人間になってしまうのです。
 
型にはまる、を、椅子と置き換えてもいい。
 
日本の会社をのぞくと、平社員、係長、課長の順に机
が大きくなり、社長になるとさらに大きな机に座る。
態度も椅子に比例して大きくなる。平社員のうちは小
さくなっているが、机が大きくなるにつれて尊大にな
り、社長になるとふんぞり返っている。
こういう人間は詰まらない。椅子に支配されたり、椅子
をかさにきたり、椅子に引きずられたり、そんな人間が
一番魅力がありませんね。
 
とすると、椅子の力とは関係なしに生きている人間ほど
魅力的だ、といえるかもしれない。
 
バスに車掌がいた時代、新米の車掌さんが一生懸命にや
っていて、時に間違えたり、赤くなっておどおどしなが
ら、ひたむきに働いている。非常に初々しく、目にも耳
にも心地よく、乗客のサービスになっていると思うくら
いでした。
 
これが5年経ち10年経つと、かなりいい加減になる。
間違えても平気な顔をして、という具合になってくる。
 
つまり。魅力を作っているのは、「初心」というものな
のですね。仕事に対してだけでなく、生きていく姿勢と
しての初心、初々しさ、というものはいくつになっても
大事なんじゃないか。
 
いくつになっても、初々しい心で人と触れ合うことが
できる。本について語り合える。そんな積み重ねが、
人間あるいは人生を魅力的にしていくんじゃないでしょ
うか。
 
初心を持ち続けるとは、どういうことでしょう。
あるいは、ずっと初々しくある、とはどういうことで
しょう。
これは、自分に安住せず、自分というものを無にして、
人から受信し、吸収しようとする生き方です。
 
逆に、政治家にそういうタイプが多いのですが、発信
機能だけが肥大して発達し、受信機は故障している人
がいます。
とにかくしゃべることはものすごくしゃべるけれど、
人のいうことを全然聞かないというタイプ。田中角栄と
いう人なんかも私が会った時の印象はそのタイプでした」
以上、(城山三郎著『少しだけ、無理をして生きる』新潮文庫平成24
年刊)
ご紹介の文章が長くなりました。
 
私の周囲に、初心忘れずの人がいます。
 
あるカルチャーセンター、勉強会でのグループのメンバ
ーです。
3年前のある受講日に、受講生の一人が授業の進め方に
異議の発言をした。十数年も講師をしている先生が、こ
れに対して、即座に、「では、この教室を辞める」と、の
たもうた。
 
70歳を過ぎた大人の姿をした先生としては、無責任で、
場当たりの発言で、私たちは、憤りとあきらめで、この
講師との付き合いをやめた。
 
初めは創造的な意見と情熱を持っていたのに、最近、勉
強していないな、と思わせる授業内容で、受講生の多く
は、かなり前から、しびれを切らしていた。
 
過去にどのような栄光を背負っても、人間の付き合いは、
現在を基準にしている。講師の彼には、自他ともに大き
な甘えがあった。いつの間にか、座る椅子が大きくなっ
てしまった。
 
その後、私たちは、新しい会を作って、メンバーの集ま
りがあった。
全員がほぼ席に着いている前で、かつての受講日に発言
をした彼が、突然、畳に頭をつけて
「自分の発言で、このようになって、すみませんでした」
と、深々と謝った。
 
みんな、びっくりした。だれも、彼のためにとは思って
いなかった。物事の端緒というものは、根の深いもので、
どう考えても、責任者の講師の裁量の欠如が原因である。
しかし、形として、十数人の勉強の場がなくなったこと
は、事実である。
 
彼は、そのことに責任を感じた。
 
姿だけの大人が多いなか、なかなかできない、潔さで、
私は、感動した。
彼は、城山三郎が好む人間のタイプかもしれない、と思
いました。
                    2015/10/30
 
 
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