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プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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おむすび

Scan0034.jpg 
家屋の裏側で見たお飾り(東京・神楽坂)

 

 


なぜか、おむすびにすると食べられる。

お米のご飯より、パン食の人が増えているが、おむすびは、

また別格なのでは、と思う。

 

このおむすび、または、おにぎり。

 

おむすびは、お結びで、良い縁を結ぶの意味もあり、本来は

京の女官言葉だという。

 

おにぎりは、にぎり飯の丁寧な言い方。鬼切りで、禍を避ける。

従って、祝いの席では使わぬほうがよいといわれている。

 

総じて、東はおむすび、西の関西以西(九州を含む)は、おにぎり

と呼ぶことが多いという。

私は、めちゃめちゃで、両方使っている。

 

さかのぼると、古代、神への供物としてつくられ、

万物の産みの神「産霊(むすび)の神」との関係を指摘する説もある。

 

だんだん、「おむすび」が神々しくなってくる。

 

私には、「おむすび」が、この上なく神々しく思えたことがある。

 

1945(昭和20)310日。太平洋戦争末期、東京大空襲で逃げまどい

いつしか、浅草の家から言問橋をわたり、向島の小梅小学校にたどり

ついていた。

 

何百人もの人が教室や講堂に避難していた。

父は町内会の責任者で家に残った。出征していた二番目の兄の妻、

兄嫁は臨月だった。その兄嫁をかばって、姉と私はその小学校に

避難した。

 

教室は人でいっぱいで、廊下に座り込んでいた。

310日の朝がしらじら明けたころ、男性の声で「どなたか、

おむすび作りを手伝ってくれませんか」と叫んでいた。

 

姉と私は、目を見合わせた。「お腹もすいている。手伝おう」

 

炊事室には、白いご飯が大釜で炊けていた。

 

姉と私は、おむすびをにぎった。

ビニール袋もサランラップもない時代。

素手で、アツアツのご飯をにぎる。その熱いこと。

みんな待っている。急いでにぎる。

ときどき、水に手をひたして、冷ましながら、

ひたすらおむすびをにぎる。

 

姉と二人で、700個くらいにぎっただろうか。

おむすびは、にぎるそばから、教室や講堂で避難している人たちの

ところへ運ばれる。

3時間くらいで作業は終わった。

 

5個づつ余計におむすびをいただいて、

ふたりの姉とその小学校を後にした。

 

「おむすび」にもひとりひとり、物語がある。

 


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