プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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マーシャル諸島

IMG_3423 - コピー 

モーツァルト 新宿御苑バラ園

ハワイとオーストラリアの中間にマーシャル諸島という島がある。

日本の南、約4600kmのところ。

 

面積 180平方キロメートル。日本の霞ヶ浦とほぼ同じ大きさ

人口 61,026人(2009年、世界銀行)

首都 マジュロ

 

正式には、マーシャル諸島共和国で、太平洋上に浮かぶ島国。

真珠の首飾りと呼ばれるマーシャル諸島の全域を領土とする

ミニ独立国家である。

 

少し遠いが、日本の若者たちが、静かで、サンゴが透けて

みえるほど、透明な海の色、きめ細かな砂のさらさらした

気持ちよさで最高、という感想を寄せている。

テレビコマーシャルにも使われる美しい島として好評である。

 

私が小学生のころの地図には、南洋の島々には日の丸の旗が

いたる所についていた。マーシャル諸島も日本の国旗が付い

ていたと思う。

 

この国の成り立ちをみてみると、この島は、

 

1528年、スペイン人が発見、領土権を宣言するが実質統治

をしなかった

1885年、ドイツ保護領となる

1914年、第一次大戦勃発、日本はドイツからマーシャル

を含むミクロネシア(南洋群島)の島々を無血占領

1920年、国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任

統治が認められる。以後、日本は南洋庁を置き、

経済開発を行い、砂糖などを日本へ輸出して

貿易黒字であった

という歴史をもつ。

 

1941(昭和16)年12月8日太平洋戦争の宣言によって

ミクロネシアー小さな島々―の戦乱も始まった。当然、

日本の領土に日本軍がおくられる。

 

兵器の技術、物量,情報などすべてに遅れていた日本は、

2年後の1943年にはミクロネシアでの日本軍は敗退。

 

マーシャル諸島の日本軍は玉砕した。日本からの補給路を断

たれ、食糧や医薬品の欠乏で死んだ。

 

そして、翌1944年にはマーシャル諸島をはじめ、ミクロ

ネシアはアメリカ軍占領下におかれた。

 

そのとき、日本の国民は、アメリカの新兵器B29の完成に

よって日本本土を日々爆撃されていた。

 

マーシャル諸島がアメリカ軍に占領された翌年の1945年

3月10日、私の浅草の家は空襲で焼けた。父は浅草寺で煙

にまかれて死んだ。

 

戦争が終って2年、1947年に或る通知で知って以来、

「マーシャル諸島」の名は、66年間忘れたことはない。

 

さらさらときれいな砂浜、サンゴが透きとおって見える、

テレビコマーシャルにも採用の美しい海が最高!という島。

 

この島で、私の三番目の兄は、23歳で玉砕した。

 

日本の若い人たちは、マーシャル諸島がかつて日本の領土

であったと知っているだろうか。

                   (2013/08/14

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