プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

全記事表示リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

犬も歩けば

21305エッセー



今年、ゴールデンウイークのある一日、「桂ゆき―ある寓話―」が目的で、東京都現代美術館に出掛けた。生誕百年の記念展覧会である。

そこには、日本画から油彩へ、早くからコルクや布、紙を貼りつけるコラージュの手法を考え、男まさり、エネルギッシュと評された画家の膨大な作品群があった。

戦後の代表作、油彩とコラージュによる「欲張り婆さん」「ゴンべとカラス」に始めて、じっくり対面した。かつて観たいと思って果たせなかった作品だった。

日用品の道具やバッグに囲まれた欲張り婆さんが、なんとも愛らしく、ユーモアをまじえ、人間の本質をつく。「ゴンべとカラス」では、勤勉なゴンべの仕事を邪魔するカラスの側に立った解釈を示して、人間の固定観念をゆさぶる。

私にとって圧巻だったのは、会場の終わりに近いスペース、囲われた部屋に集められた赤の世界だった。女性の着物の裏地に使う紅絹(もみ)で包まれた、角の生えた釜や道具を中央に、「生命の誕生」と「結婚」を膨大な数の紅絹に包んだ粒とも、点ともいえる物で表現している壁面があった。自画像も紅絹に彩られていた。1985年(72歳)の個展で発表されたというこの画家晩年の作品。

一種異様。じっと佇んでいると、桂ゆきという人間が「これがわたしの世界なんだ」と、語りかけているようだ。なんとも、不思議な力を感じて30分ほどじっと止まっていた。ただ、じっとしていたとしかいえない。

彼女の生きた時代は、男の価値観がまかり通る偏見、抑圧との闘いであったという。桂ゆきは、1913(大正2)年に帝大で冶金学教授の父を持って、東京本郷に生まれた。女学生のころ学んだ油絵の先生に「女は花や人形を描いていればいい」と言われ、「そんなもの描きたくもない、泰西名画の美にも反発した」

人は否応なく、時代の抑圧にさらされる。ひとりの画家が10代に反発した精神を生涯貫いた。自ら望んだ、画家としての思想を絵画に託して表現し、60年にわたる創作活動を展開、戦前と戦後をつなぐ女性芸術家のパイオニアとして命を全うした。
膨大な作品群が画家の死後も、私を含め、多くの人がその作品から感動と力を受けている。今さら、芸術イコール人間だ、と思う。

帰途、もと来た深川資料館通りの左側を駅へ歩く。と、昨年はなかった小さな古本屋があった。店先の木箱に100円の立札。ふと目にとまった岡本太郎著『自分の中に毒を持て』(青春文庫2011年第41刷)を購入。

読後、岡本太郎をまったく知らなかったと、知った。そして、桂ゆきと岡本太郎の共通性に気付く。

1同年代であること 桂ゆきは、1913(大正2)年~1991(平成)年
          岡本太郎は、1911(明治44)年~1996(平成8)年
2反逆精神に富んでいること 岡本太郎は 当時の先生、教育制度、その周辺の条件に抵抗したため、小学校一年生で4つも学校を変えた。
3 若いころに芽生えた自己肯定の筋を貫いて、生涯変えなかった。
4 あらゆるものから自由な態度を貫いた数々の仕事。 

『自分の中に毒を持て』の著者は、父岡本一平、母かの子にあまりかまわれなかったが、子どもの時から、ひとりの人間として扱われた。18歳でフランスへ。パリのカフェでマックス・エルンスト、ジャコメッティ、マン・レイ、写真家のブラッサイ、ソルボンヌの俊鋭な哲学徒だったアトランなどとは、毎日顔を合わせる仲間で、カンディンスキー、モンドリアン、ドローネと芸術論をたたかわせた。
一生を決定したともいえるジョルジュ・バタイユ(フランスの哲学者。思想家、作家-註塩入)との出会いもカフェだったという。

30歳でフランスから帰国。中国戦線へ出征。過酷な軍隊経験。私の古い記憶だが、敗戦後、帰国した時、お金がわずかしかなかった。そのわずかの全部で花を買った。という、エピソードを、ふと思い出す。

読みすすむにつれ書の内容は、怠惰な自分に突き刺さる。

何でもないことに筋を通すことの方が、カッコいい冒険よりもはるかにむずかしいし、怖ろしい遊びなんだ。

捨てれば捨てるほど、命は分厚く、純粋にふくらんでくる。

自分自身の最大の敵は他人ではなく、自分自身だ。自分を取り巻く状況に甘えて自分をごまかしてしまう。
自分に対して真心をつくすというのは、自分に厳しく、残酷に挑むことだ。

人間が一番辛い思いをしているのは、“現在”なんだ。ベストを尽くさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために“いずれ”とか“懐古趣味”になるんだな。懐古趣味は現実逃避だ。

ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きること。

「エネルギーがありますね」といわれて、
エネルギーがあるから、できるんじゃなくて、なにかをやろうと決意するから、意志もエネルギーもふきだしてくる。なにも行動しないでいて、意志なんてものありゃしない。

プライドというのは、絶対感(一切他から制限・拘束されないこと—註塩入)だと思う。自分がバカであろうと、非力であろうと、それがオレだ、そういう自分全体に責任を持って堂々と押し出す。 それがプライドだ。

ところがまるで反対のことを考えている人間が多い。他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分をどう見ているかなんてことを気にしていたら絶対的な自分というものはなくなってしまう。
大切なのは、他に対してプライドをもつことではなく、自分自身に対してプライドをもつことなんだ。
以上、内容のほんの一部です。

書は、著者と向き合うこと。

この本は、1993年、岡本太郎が亡くなる3年前に刊行。18年後の2011年に第41刷とある。40回も増刷されているのはすごい。「若い人にも、自分の中に毒を持ってほしい」という著者の願いが生かされたのかもしれない。

犬も歩けば「宝物」に、の、ある1日でした。                      
                                (2013・5・15)
スポンサーサイト

COMMENT

EDIT COMMENT

非公開コメント

ブログ村ランキング
応援のクリックをお願いします
著書の紹介
検索フォーム
アクセスカウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。