プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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なにを恥と思うか

  Scan0007ガラス


1961(昭和36)年に平和団体の案内で訪れた長崎で、被爆による後遺症や差別と闘い、苦難のなかで生きる人々に出会い、

「なにも知らなかったことを恥じ」た人がいる。

「その後も長崎を訪ねたが、結論が出ない。そして、次の年も、また次の年も」

2012(平成24)年12月、82歳で逝去した写真家の東松照明さん。

上半身に大やけどを負った男性、顔の半分にケロイドが残る女性----。

長崎市の長崎原爆資料館で開かれている追悼展で、半世紀にわたって撮り続けた65点の存在感に圧倒された。
原爆の悲惨を告発する鋭さとともに、被写体への深い愛情がのぞいた。

心と心の交流を通じて写真家と被写体の関係を超えた間柄になった。それは目に見える傷ではなく、その人の内面をとり続けたからだろう。

15歳の時、名古屋で終戦を迎えた東松さんの原風景は、廃墟だった。

復興した長崎の街に目を凝らすと、繁栄の裏に原爆の悲惨が見えたという。

ライフワークとした沖縄では、自然への畏敬の念と他者への思いやりの精神が息づく人々の暮らしにかつての日本を見た。共通するのは、目に見えないものを凝視するまなざしだ。

ともに「終わらない戦後」を抱える長崎と沖縄。

「忘れられないこと、決して忘れてはならないことを伝え続ける」。
東松さんが残した言葉をかみしめている。
(以上、2013年4月10日読売新聞 西部社会部 鬼東信安氏:一部割愛-塩入)

カメラのレンズメーカー宣伝部にいたころ、東松照明さんには2~3回仕事でお会いしている。
フワッと、人を包み込むようなあたたかさを感じる方で、人間の内面が撮れる写真家だと思った。

折々に発表される作品に、東松さんの厳しさとやさしさがうかがえ、「東松さん、やってるな」と、生意気にも思っていた。

文は人、写真も人。

2010年7月、満62歳で早逝した、作家、劇作家など多彩な仕事を残した、
つかこうへい さんは、

「文化とは、なにを「恥」と思うか。

そして人がその「恥」とどうしようもなく出会ってしまったとき、どうぶつかり生きていくかということなのではないか、と常々思っている」。と書いている。

写真家、東松照明さんは、自分の恥を、よりどころの写真を通して追及しようとした。せざるをえなかった。

だれかのためより、やむにやまれぬ、人としての自然な気持ちだったのではないか。

その感性が、宝物なのだと思う。
                        (2013・4・16)




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