プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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ピーコさん

ピーコ



かつて、テレビでファッションの批評をしていたピーコさんが好きだった。

結構辛口で、人におもねたりしない語り口がこころよかった。

あまり人前に出なくなったと思っていたら、2013年4月1日読売新聞の「これからの人生」欄で近況を知る。

芸能界デビュー後、人気が出て収入が増えるにつれて傲慢になった。
テレビ収録現場では、「なんでこんなに待たなきゃいけないの」とどなりちらし、
タクシーの運転手の対応が気に入らないと現金を投げつけた。

44歳の時、30万人に1人の珍しいメラノーマ(悪性黒色腫)となり、左目の摘出手術を受けた。

義眼を入れた。

1個30万円ほどの義眼は、手術後傷口が変形するため、1年に20~30個変える必要があった。

深い親交のあった永六輔さんが1口1万円の寄付をつのってくれて300万円が集まった。

「私は一人で生きているんじゃないんだ」と気が付いた。

自分の満足だけを求めてきた人生が愚かに思えてきた。

手術から5年間は転移の恐れがあるので、半年に1回全身の検査を受ける必要があった。憂鬱になり元気のない姿に、永さんが歌を習うことを勧めてくれた。

若いころからよく聴いていたシャンソン。
ピアノの先生の指導を受け、人前でも歌い始めた。衣装を担当したシャンソン歌手の石井好子さんに誘われてショーに出演、本格的にステージに立つようになった。

障害者や中途失聴者などの講演会で、目を失った体験や人生を語ることも。

「自分のことよりも、誰かの役に立てる仕事を優先する」ことを貫く。

ファッションの見方も変わった。

背が高く見える着こなしや、やせて見える服装を提案していたが、人は外見を飾るだけでは美しくなれないと考えるようになった。

講演では、「自分のため、という欲を捨てれば、きれいになれるよ」とアドバイスする。

手術を受けた病院には当時、同じ病気の患者がいたが、2年後に亡くなった。

「生きている私には自分の知らない何か役目があるはず。人のためになるような自分の役割を探して生きていきたい」
(以上、読売新聞 野口博文氏。文章は少し略させていただいたカ所がある)

1945年、私には忘れられない終戦の年生まれのピーコさんは、68歳になられた。

人は一生のうちに、数回、「気づき」の機会を与えられる。

そのときを逃すと、また次の人生でやり直しになる。ということを聴いたことがある。

ピーコさんは気づかれた。

しばらく会えなかった知人から、いい人生の途上を歩いている話を聞かされたような、さわやかな気持ちになった。

ピーコさんは、そんな経験をされていたのか、と。 
                              (2013・4・4)
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