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プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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自分とつきあってますか

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「ほんとは誰でも自分とつきあうのは大変なんじゃないか。ただ大変なのを自分じゃなく、他人のせいにしてるだけじゃないか。大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分と出会ったことにならないんじゃないか」
という、詩人の谷川俊太郎さんのエッセーを読んでいて、思わず椅子に座り直した。

と書かれているのは、読売新聞編集委員の芥川喜好さん。
2006年から読売新聞に月一回「時の余白に」のタイトルでエッセーを連載。練達の美術記者の書かれる、本質をついた内容に敬服して愛読している。
その2012年9月22日版「自画像、描けますか」の冒頭の部分。

谷川さんがそう考えたきっかけは、勝新太郎さんの言葉にあると、いいます。
「おれっていう人間とつきあうのは、おれだって大変だよ。でも、おれがつきあいやすい人間になっちゃったら、まずおれがつまらない」

谷川さんは、感心してしまいます。
自分とつきあうのが大変だなんて考えたことがなかった。
自分とも他人とも世間ともあまり衝突せずに生きてこられたと思っていた。それは自分自身をごまかしていたにすぎないのではないか――と。

私もこの言葉に、ガーンと一発だった。自分とつきあうのは、大変だ、って。
自分をじっと観察して、自分という実態をまっすぐ見つめることか。そういえば、私は、自分を見つめるよりも、他人の姿が先に目に飛び込んでいた。そのほうが、楽だから。
いや、この程度のことを勝さんは言っているのではないかもしれない。

長唄の杵屋勝東治(きねやかつとうじ)の次男に生まれ、俳優としても立派な仕事をし
続けた。生きることのなかに、自分を蓄え、自分への高い望みをもち、常に自分に要求し
ていたのかもしれない。多くの豪快な人間くささの逸話も残した。

勝新太郎さんの言葉の意味は深遠だ。
つきあいやすい人間とは、いい人、丸い人、くせのない人、肌触りのいい人などなど。
「おれがつきあいやすい人間になっちゃったら、まずおれがつまらない」は、名言だ。

白洲正子さんは、書いている。「人間は、面白いか、つまらないか、で私は判断する」

芥川さんは、
作家の中野考次(故人)さんが「老年とは自分と全面的に向き合う時節だ」と言っていたのを思い出す。そして、年をとっても忙しくしていたい、無為の時間を過ごしたくないという人が少なくありません。
つまり、あまり自分を直視したくない。できれば他事で時間を埋めていたい。空の自分に向き合うのがこわい。そういう無意識のあらわれかもしれません。という。

別の章で、谷川さんは宝物にしているレンブラントの銅版画自画像について、「自分をそのへんにころがっているじゃがいもを見るのと同じ目で見ていて、何の思い入れもないのだが、その表情は実に生き生きしている」と。
自分を客体化し、他人をみるような目で描いている。その視線の質に、言葉で書く人として谷川さんは「かなわないなあ」と思うのです。と、芥川さんは書いている。

肝心なのは、彼が生涯にわたって、自画像を描き続け年とともに変わる自分を直視し続けたこと。さえないおっさん風のレンブラントもいるが、偽装のない率直に自らの事態に向き合う表現の深さこそ、百点をこえる彼の自画像の魅力。

さらに芥川さんは続ける。
西欧の自画像は、ルネサンス以降500年にわたって描かれてきた。近代にいたって、自我の解体という動きもはらむ突出した表現の場と化します。
ようやくそのころ、西欧渡来の油彩の威力を知った日本の若い画家たちは、自我の表現としての自画像を描き始めるのです。
つまり、本邦における自画像はどうしても「青春の表現」の気配が濃厚だった。若い自画像は、昂然として、凛々しく、自己陶酔の熱に満ちて、それはそれで清新なものです。一方、年輪を重ねたもの、老いさらばえたもの、むしろ年齢を超越したものが発する生命の信号も、魅力的な造形の主題たり得ます。そういう大人の自画像がない文化、だったのかもしれません。

この芥川さんの「日本は、大人の自画像がない文化」という意見に私はハッとした。

芥川さんは、「日本には大人の自画像がない文化」だったのかもしれません。と謙虚な表現をされている。大人の自画像がない文化は、成熟した大人の文化がもてなかった、あるいは、いまだにもてていないこの国の文化の質のことではないか。若き自画像の魅力をたたえながらも、年輪を重ねたもの、むしろ、年齢を超越したものが発する生命の信号も魅力的な造形の主題たり得る、と、言いきっています。

ここで、私の長年の疑問がとけたような気がした。
日本は、なんで「若い」ということにこんなにこだわるのか。異常に年にこだわる。年齢は生まれて何日経過の説明ポイントにすぎない。人と人の交わりの楽しさは、個々の世界観の交流だと思う。国が異なっても、然り。したがって、自分の世界の話ができない人は軽蔑される。

近代以降、老いの美しさや、年輪を超越したものが発する生命の信号に触れるチャンスのなかった日本。残念ながらレンブラントのような大人の自画像を持たない日本の文化。

このエッセーのタイトルは、重ねて「自画像、描けますか」です。
勝新太郎さんは、きわめて個性的、かつ見事な自画像を描いて去られた。
さて、私は自画像が描けるのだろうか。

●この芥川喜好著『時の余白に』(2006~2011年連載分、みすず書房)が2012年5月、出版されました。おすすめします。


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