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プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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ソファにすわらない

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1960年代から,評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリストとして活躍、2002年に亡くなられた草柳大蔵(くさやなぎ だいぞう)さんは、テレビでもソフトな語り口で多くのファンに恵まれた。
名評論家大宅壮一氏の「大宅壮一マスコミ塾」に学び、1950年代には大宅氏の助手を務め、『週刊新潮』『女性自身』の創刊に参画。1966年、『文藝春秋』に連載した「現代王国論」で文藝春秋読者賞を受賞。その他、多くの著書を残された多彩なジャーナリストだった。
その草柳さんが、1948(昭和23)年、24歳のとき、雑誌社の末端編集者として、雨の中を原稿集めに駆けずり回り、ある国務大臣邸にたどり着き、応接間に通されたときの一文は、10年余の歳月が流れても、忘れられない。

朝から雨の中を歩き、疲れていたので、ソファに深く腰掛け、なけなしの煙草に火をつけた。そのとき、国務大臣の奥様が入っていらして「はい、ご苦労様」と原稿を渡してくれ、帰ろうとした草柳さんに「お紅茶でも飲んでいらっしゃい」と声をかけてくれた。

ウィスキー入りの、当時では珍しい紅茶の味に、心も温まる思いをしたが
「あなたのお父様は何をしていらっしゃったの」という夫人の質問に、すこし身体を起こした。
「石屋です。灯籠やお稲荷さんの狐や墓を刻んでおりました」「そう」と夫人はうなずいて、「それではこれから申しあげることを、ひとつの参考として聞いてくださいね」と、静かな口調になった。

「あのね、他所(よそ)のお家を訪問して応接間に通されたときは、そこの主人が姿を見せるまでは椅子に腰をおろさず、立ったまま待つものですよ。そのために、壁に絵がかかっていたり、花瓶に花が活けられているのです」

私は、ソファにどっかり身を沈めて、穴のあいた靴底から浸み込んだ雨水に濡れた靴下を両手であたためていた私自身の姿に、かっと恥ずかしさが込みあげました。耳まで赤く熱くなったのを今でも覚えています。
「ありがとうございました」
かすれたような声で礼を言い、私は原稿を内懐に入れて、雨の道を駅まで急ぎました。

電車に乗ってから、どういうわけか、「世の中っていいな、素晴らしいものだな」という言葉を繰り返していました。煌々(きらきら)しき思い、とでもいうのでしょうか。
と、自著に書かれている。(『礼儀覚え書き』グラフ社)

さらに続きます。

そして、二十数年後。
当時の三菱銀行会長の田実(たじつ)渉(わたる)氏を取材で訪問。秘書の方が「どうぞお掛け下さい」というのにお礼をいい、立ったまま、部屋の壁にかけられたルオーの絵を眺めていた。しばらくして、顔一杯に笑みを浮かべた田実さんが入ってこられた。

それから三年。日本興業銀行会長の中山素平氏のインタビューに訪れる。終わって筆記具をしまい、立ち上がろうとした草柳さんに中山さんが少し語調を変えて言った。

「君のこと、じつは昨日、田実さんに電話で聞きました。明日、草柳君という人と会うんだが、あなたは彼と会ったそうで、それで伺うんだけれど、どんな男です、彼は?
そうしたらね、田実さんが電話の向こうで、“ああ、あの男は俺が部屋に入るまで座らないで、立って待っているような男だよ”というんです。それだけよ。それで僕は、きょう、君と安心して会うことにしたんだ」

私は、そのとき、一本の道が瞼にうかんだのです。 と、草柳さん。

自分の道を、自分ひとりで歩いていると思ってきたが、それがなんと恥ずかしく浅墓な考えだったか。自分が物書きとして読者に読んでいただけるようなものを書いてこられたのは、先輩たちが道をつけ、ときどき道端に立って、ちゃんと歩いているか、踏み迷うようなことはないか、灯で照らしてくださったのではないか。

応接間のソファにすわらない。

ただそれだけの教えが、三十年近くも私の周囲に生き続けてきたのです。
雨の日の、白い花束のように見えた美しい奥さんの言葉は、田実さんから中山さんまで一貫していた。いや、そればかりでなく、人物評価のモノサシにさえなっていたのです。
と、草柳さんは、書いています。
その経験を「煌々(きらきら)しき思い」と受け止めた24歳の若き草柳さんの感性も素敵です。

この文章に出会ってから、私も、おそまきながら、公私ともに訪問先の方が見えるまで、応接間のソファにすわらなくなりました。
                             (2013・2・12)
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