プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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よく死ぬことー57回

エッセー1702 
命の輝きを大切に・2017

 ケインズと言えば、イギリスの大経済学者だった人だが、
なかなかしゃれていた。
 ”長期的にみると、われわれはどうなっていくのでしょ
うか“
ケインズ先生に向かって、記者会見で代表記者が質問した。
折しも、イギリスは大不況にあえいでいた。いつ、ここからは
い出せるのか、世間はそれを知りたがっている。大先生ならあ
りがたいご託宣がいただけるのではないか。記者たちから期待
の注目を浴びたケインズ先生、
 
 “さよう”
と言って,ひと息入れた。
 “長期的に見れば、われわれは・・・”
と言って、ひと息いれる。
 “われわれは、みんな死んでいるね”
それを聞いた記者たちはどっと笑った。いいね、さすがだ
ね、えらいもんだ、と喜んだ。答えになっていないが、そん
な難しい問題をごてごて論じてみてもしかたがない。それよ
り笑いとばした方がいい。イギリスの新聞記者は笑って感心
した。日本の新聞記者諸氏ならどうしただろうか。
 英文学者 外山滋比古の『ことばの作法』(PHP文庫)の一
文です。

みんな死んでいるね。とケインズはユーモアで返したが、
本当に、「死」はだれにも、訪れる。そして最近は、かつては
避けていたこの問題と真剣に向き合う姿勢が生まれつつある。
 
 死を全き現実として受け止め、『よく死ぬことは、よく生き
ることだ』(文春文庫)として1987(昭和62)年に、46歳で亡く
なった、千葉敦子というジャーナリストがいました。

千葉敦子は、上海で生まれ東京で育ち、学習院大学を出て、
東京新聞に入社、経済記者となる。後、ハーバード大学のニー
マン奨学生として留学。帰国後はフリーのジャーナリストとし
て活躍。海外の新聞や雑誌に記事を執筆。後、渡米。

1983(昭和58)~1987(昭和62)年に死を迎えるまで、ニュー
ヨークのマンハッタン グリニッジ・ヴィレッジに住んだ。
記憶に間違いなければ、彼女の存在を知ったのは、1981年
に左側乳癌の手術。その手術前の自身の肉体を、私も知る写
真家に撮影を依頼し、掲載した著書『乳ガンなんかに敗けられ
ない』(81年文芸春秋)に接したからです。
なんと勇気のある女性だろうと。
 
彼女は、3年半のニューヨーク暮らしで自分の生命を最大限
に燃焼させた。ガンの再々発、小脳への転移、声を失うなど、
を受け入れながら、よく遊び、よく働き、良き友人の助けをか
りながら病と向き合い、病を冷静に見つめ、その記録も残した。
 
多くの著書から汲み取れるのは、彼女の死後30年経っても、
なお残る日本の後れた諸問題に正面からぶつかり、努力と実行
の人生でもあった。ことです。例えば、
 
差別について、
 「私は生きて何をしたか」を振り返ってみるとき、ほんの子
どものときから、女に対する差別と闘ってきたことは、明々白
白だと思う。私の両親は「女らしく」などと、ひとこともいわ
なかった。
--------しかし、よその親からも教師からも、長じてからは同
僚からも上司からも、取材先からも編集者からも、なんという
差別と蔑視を受け続けてきたことだろう。
 
一つ一つ砦を崩し、差別的な発言にはいちいち文句を唱え、
若い女性たちを励ます-----ということをやってきたつもりだが、
日本の社会の歩みがのろいのには、いまさらながら驚いてしま
う。と、述べている。
 
●日本の女性
2016年現在、日本の女性の地位は世界105位。国威とそぐわ
ぬ数字(30年前はもっと低い)に、千葉敦子というジャーナリス
トは30年前に嘆いた。
「教育水準の高い日本の女性の地位の低さはなぜだろう」
「日本の社会の歩みののろいのには、いまさらながら驚いて
いる」
「アメリカ社会にも旧弊の残骸が残っていないわけではな
い。しかし、十分とはいえないにせよ、社会のあらゆる分野
に女性が進出をはたした現在(1987年-塩入)では、日本との
比較など、もはや成り立たない。(『「死への準備」日記』
 
日本の女性の地位は、2016年10月世界経済フォーラム(WEF)
世界136カ国中105位。フィリピン5位、中国69位、韓国111
位。
 
日本人男性の女性蔑視
その人の妻まで同席している場で、キーセン・パーティーの
あとのお楽しみを得々と披露した人がいた。こういう時、私の
はらわたは煮えくりかえる。
―女性に向かって公の席で「大年増の厚化粧--」と、前石原都
知事は暴言を吐いた。まだ昨年2016年の話である。女性問題と
男性の問題は切り離せない。
 
家族について
 最後の著書『「死への準備」日記』によると、両親とも戦前
に警察に捕らえられ、1932年、母は17歳のとき、東京の両国
署で、特高係二人に全裸にされ、さかさに吊るされて脚を左右
にエイッと引っ張るという拷問を受けた。という体験があるこ
と。
子どもに対する干渉はしない親であり、両親ともに、世間に
どう思われるかを気にするよりも自己の信ずることを行うのが、
人生に対する基本的な態度であること。
彼女がガンの病を持ちながら、家族の住む東京からあえてニ
ューヨークに居を移したのは、自立と、人生に求めたものを得
るためだった。
 
ガンの再々発、最後は小脳の腫瘍になりながら、死の2日前
まで原稿を書いたという。
 
遺言として、著書の印税は、日本人以外のアジア人ジャーナ
リストの活動に残した。
 
根拠として、彼女の1か月の生活費3000ドルで数か月は暮ら
せる国がアジアにはたくさんあること。しかし、金額よりも、
精神のほうがもっと重要。
言論抑圧に抵抗しているジャーナリストの仕事を認め、励ま
す義務が、言論の自由を行使している日米双方のジャーナリス
トにあると、私は信ずる。
 
そして、健全なジャーナリズムの存在がアジアの平和のため
には絶対不可欠と私は考える。としている。
 
そして、私の葬式はなしで、遺体は病理解剖ののちに火葬
してもらい、骨だけ東京の家族に送って----。と記す。
 
彼女は、真に自立した女性です。
個人の尊厳を自他ともに守り、生きる場所はニューヨークが
適していると判断したら、さっさと居を移す。
 
確かにニューヨークは魅力的だ。私は彼女が現世を去った3
年後の1990年に初めて渡米。黒人女性が胸を張って、カッ、
カッと高いヒールの音をさせながら闊歩しているエキサイティ
ングな街には、エネルギーに満ちたアメリカの風が吹いていた。

 だれもができないことです。さらに彼女は、私の一番聞き
たいことを、このように述べていました。
 
「この世で本当に価値あるものは、愛、友情、セックス、美、
新鮮な空気、快適で刺激のある環境、健康、精神的な安寧、自
尊心、精神的成長、内面の充実、冒険心というようなものであ
り、お金で買えるものは、ほんの少ししかないように思います」
と。(『よく死ぬことは、よく生きることだ』87年 文芸春秋)
 
 「よく死ぬことは、よく生きること」を身をもって行い、そ
して逝った、ひとりのジャーナリストを私は一生忘れないでし
ょう。                                             (2017/2/14)
 
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