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プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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わきまえる心

2016年新宿御苑エッセー 
2016年東京・新宿御苑


東京、浅草で酒屋の娘として育った。
小学校へ通うようになったころ、父からよく言われた。
「友達の家で、なにかご馳走になるとき、または、何か、下さる
と言われて、どれでもお取りなさい。といわれたら、一番いいも
の、志津が欲しいものを取ってはいけない。いいね。二番目か、
三番目のものにしなさい」
 
小学校一年生で、よく意味が分からないままに「はい」と返事
だけしていた。ただ、言いつけは、守った。そうしていると、同
席のほかの友達にたいして、子供心に、なんとなく気が楽だった。
 
724日、大相撲名古屋場所が日馬富士の優勝で終わった。38
度目の優勝を目指した白鴎は、4敗であった。
その白鴎について、読売新聞編集委員の三木修司さんが712
日朝刊「視界良好」で述べている。
 
「大鵬を抜く優勝33度を飾った昨年初場所までの白鴎は粋だっ
た。断髪令の中、髷(まげ)を残した明治天皇に謝意を示した。
 
だが、最近の白鴎は荒っぽい取り口が目立つ。左の張り手でけん
制しながら、右肘を顔面に打ち付けるかち上げは横綱らしくない。
駄目押しや懸賞の束を振り上げる光景は、これ見よがしに映る(かち
上げをゴシック体に変更は塩入)
 
江戸流に言えば、無粋な振る舞い。敗者へのいたわりを忘れてし
まったかのようだ。多くの人は、“そんな横綱ではなかった”と怒
っているのだ。“かち上げ横綱”などというキャッチフレーズは、
白鴎だって望まないだろう。
 
真剣勝負と興行があい混じった15日間。稀勢の里の挑戦を受け
る名古屋の土俵は、白鴎が自らを映し出す鏡にもなる」と、かなり
手厳しい内容だった。
この記事を読んで、横綱は大変だなあ、と思った。次に、白鴎の
部屋の師匠、または、親友はこの相撲に対し忠告をしないのか、
日本人の血ではないからか、などの言葉が頭をよぎった。
 
実は、私はテレビであまり相撲を観たことはない。興味をもっ
たのは、この3~4日間である。下敷きに、5月25日読売新聞記
者の取材記事があった。取材相手は、横綱審議委員会の守屋秀繁委
員長(千葉大名誉教授)である。
 
「白鴎の相撲が荒れていること、それは、白鴎の力が落ちたこと、
かち上げや張り手は『15日間の中で楽に勝ちたい』という意識が形
にでていた。
相撲にはスポーツ、神事、興行の3要素がある。神様に無礼がな
いよう『わきまえる精神』が大切だ。わきまえる心があれば、かち
上げや張り手は横綱らしくないから、やめるだろうし、そういう相
撲しか取れないのなら潔く引退する。それが相撲道であり、歴代の
大横綱は皆、道をはずさなかった」
 
大要は以上で、見出しは、一文字が23ミリもある大文字。いや
でも目に飛び込んでくる。
白鴎「わきまえる心」持て とあった。通常の記事には珍しく大きな扱いである。
明治生まれの父は、相撲と浪花節が大好きで、仕事の後、ラジオ
で楽しんだ。玉錦、前田山、広沢虎造の時代。テレビもブルーレイ
もないころで、家人全員がその時は、シーンと静かにしていなけれ
ばならなかった。2階への階段は、音をたてない。ともかく静粛を
守らなければ怒られた。一種のトラウマとなり、そのどちらも好き
になれなかった。
 
しかし、新聞の大きな見出しで「それが守れなかったら引退すべ
き」というその道の大御所ともいうべき立場の人の、あまりにも正
統、あえて、神社参道の中央を行くような言葉に、俄然、興味(深い
意味のない)が湧いた。
 
7月21日から24日まで、夕方からのテレビの相撲にかじりつい
た。こんなに相撲を真面目に観たのは、生まれて初めてである。か
ち上げとはなんだろう。広辞苑五版で調べる。
 
かち上げ(搗ちあげ)=相撲の一手。立ち合いにきき腕をひじから
曲げ、からだごと相手の上半身を突き上げ、出足を止めて体制を崩
す。とある。漢字は深い。

餅を搗く(つく)、互いにぶつかることが搗合い(かちあい)、日曜
と祭日が搗ち合う(ぶつかる)相撲のかち上げも漢字は「搗ちあげ」 
つまり、かち上げや張り手は、相撲の一手ではあるが荒技で、品の良いものではない。立ち合いで荒技を使って相手をけん制し、勝ちをとる。最高位の横綱がむやみに使う手ではない。ということである。
 
ということが呑み込めて、相撲を観ていると、力士の姿がとても
魅力あるものになる。白鴎の立ち姿が美しい。目が笑っているのか、
目で考えているのか分からない稀勢の里の表情。友人が「わたしは、
逸ノ城が好き」と言っても、聞き流していたが、この力士か、など
と品定めが始まる。
 
ついでに調べると、「逸ノ城」は、「いつのじょう」ではなく、「いちのじょう」であることも発見。また、力士がテレビに映る画面の桟敷席に連日、かかさず顔が見える和服の女性は、何者か。など、関心と、物を知る面白さとの一体化に、初めて気づいたような思いである。
 
白鴎は、来日したころは、痩せてひょろりとした体をしていたのを、かつてのテレビが映していた。精進と努力で界の最上位に上った。人は、途中より、上りつめた場所からの歩き方のほうが難しいのかもしれない。
 
冒頭明治生まれの父が、小学生の私に「人さまからいただくものは、すすめられても、その中の一番いいものや、欲しいものは選ぶな」という言葉は、それから23年で分かったが、白鴎は、選んではいけない、「一番欲しいものを選んでしまった」のかもしれない。
白鴎は、来場所で、横綱10年ということ、である。
                                                       (2016/07/26
 
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