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プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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プロフェッショナルの魂

 エッセー1501 
私はなにができるか

終戦から70年。阪神大震災から20年。新潟県中越地震から
11年。東日本大震災から4年。
 
今年に入って終戦70年を機に、メディアではその対処や反省
に関する番組、記事が目立ってきた。
 
建築家の坂 茂(ばん しげる)氏(読売新聞2015.1.20)は、2004
年の中越地震から、避難所に間仕切りをつくる活動を続けている。
 
大小2種類の紙の管で柱とはりを作り、布をつるして、開閉で
きるようにする。
 
役所の人からは、「仕切りがないほうが管理しやすい」と言われ
たという。
東日本大震災でも最初は、同じことを言われた。が、岩手県大槌
町では、大槌高校の物理の先生が管理していて「素晴らしい。す
ぐやりましょう」と言った。避難者からは「安心して寝られる」
「着替えも気にならない」と喜んでもらえた。
 
宮城県女川町では「仮設住宅がまだ190戸必要だが用地は野球場
しかない」と困っていた。
そこで、コンテナの2階,3階建仮設を提案。構造はコンテナでも
内装はきれいで居住性も良い。都心部で大地震になったら、多層
化しないと間に合わない。
 
「プライバシーがない避難所生活はあまりにもひどい。仮設住宅
は断熱性が悪く、隣の音も聞こえる。災害が起きる度に言われて
きたことだが、阪神大震災の時から改善されていない」
 
「被災者は、精神的にも肉体的にも大変な思いをしている。だか
ら住み心地の良いところに入ってもらわないとだめだ。けれども
役所の人たちにそういう意識がない」と、坂さんはいう。
 
東日本大震災後、来日したあるヨーロッパ人が
「先進国として、被災者に対する住居への対応は最低で、欧米
では考えられないほど水準が低い」という話を紙上で読んだこ
とがある。
 
坂氏は被災地の役所の人が仮設所の「仕切りがない方が管理し
やすい」と反対されても振り切って間仕切りを設け、被災者に
喜ばれた。
 
怒りをおぼえる。他人と暮らすのに、間仕切りなど当たり前で
はないか。
プライバシーのない生活がどんなものか、役所の人間は自身体
験してみたらよいと、思う。
その点、プライバシ―を重んじる欧米では、災害時といえども、
守るべき最低線は本能的に守られるのだろう。
 
人間の生活の基盤である家を流され、肉親を奪われて避難して
いる人の心中は、被害を受けない人には到底わからない。
 
私は、1945(昭和20)年3月10日、東京大空襲で浅草の家を焼
かれた。
火の粉を浴びながら言問橋を渡り小梅小学校の廊下で一夜を明
かした。たった一晩だけなのに、まったく眠れなかった。
出征した兄の臨月の義姉をかばい、二番目の姉と三人だった。
この空襲で家に残った父を亡くした。
その時の心細さは、はかり知れないもので、苦しいときの立ち直
りの原点になっている。
 
坂 茂(ばん しげる)氏は、1957年、東京生れ、57歳。昨年「建
築界のノーベル賞」と言われるプリツカー賞を授与。現在、京都
造形芸術大教授。
 
坂氏は戦後生まれで、戦争の悲惨さや被災の体験もない。活動の
原点は、阪神大震災で被災した、神戸のカトリック教会の神父の
 
「建物が無くなって、初めて本当の教会になった」 
 
と、いう言葉がわすれられない。と記しているのを読んで、
「この神父様は、本物だ」と、私は思った。
 
真の信仰に、立派な建物や意匠は、いらないという意味です。
 
坂氏は、神戸の教会が被災し、神父の用意した土地に紙管を並べ、
屋根にテントを張った仮設教会をつくり、ミサや映画会が開かれ、
大勢の人に集まってもらったとき、建築家冥利に尽きる思いだっ
た。という。
 
坂氏は、高所得者層の依頼で立派な建築物をつくることが多かっ
た。だが、高かろうが安かろうが関係ないと思った。
紙の教会でも愛してもらえたらパーマネントになる。人に喜んで
もらう満足感は仮設でも変わらない。これからも世界で災害が起
きれば飛んでいく。と記す。
 
さらに、建築家の仕事は外科医に似ている。外科医は患者が運ば
れてきたとき、センチメンタルな気持ちを捨て、大手術に臨む。
 
建築家として何ができるか。
被災地と向き合い、プロ意識に徹して活動していきたいと思う。
と結んでいる。
 
この坂氏の記事を読んで、世には、「プロ」 と呼ばれる人が数限
りなく存在する。坂氏のような建築家、陶芸家、書道家、舞踊家、
科学者、文学者などなど。初めは、好きで入り、さらに道を究め
ていくと、自分の持てる力で他者に奉仕するのが、究極の目的だっ
たことに、ある日、気づかされるのが、人間なのではないか、と、
私は思った。
 
笑われるかもしれないが、さらに私流に拡大解釈すれば、人はみ
な「自分という個にたいしてプロフェッショナルなのではないか」。
 
日本に1億2千万人、世界に27億4千万人いても、一人として
同じ人間はいないからです。
OO家などと大げさな者にならなくてもいい。密度に格差があっ
てもいいではないか。
 
生まれて、父母というプロフェッショナルに育てられる。父母
は、子供を個人として尊重、学校だけに頼らず、他人と自分を
比較などしない、個としての思考力をもった独立人格に養い育
てる。
 
長じて社会の各プロフェッショナルと交わり、己のプロフェッ
ショナル度を磨く。優れたプロフェッショナルに出会えば、人
には、多くの無駄も必要で、それがなぜなのかも学べるだろう。
最近の若者は、「無駄をきらう」という。もったいない話だ。
 
人には、自分が学ぶべき人物や物事と出会うチャンスは必ず与
えられている。自分にはなかったという人は、それを感知する
能力がまだ蓄積されなかっただけである。
 
当然、自分が大切なら、他も尊重する。尊重するから、被災し
たら寄り添って助け合うのは当たり前。
 
坂氏は、「建築家として何ができるか」と自問している。
 
この言葉は、普遍だ。 
 
「人間としての私は、なにができるか」
 
大げさなことではない。道を聞かれたら、親切に応対する。
 
会社でお客様にお茶をだすなら、今一番おいしいお茶を差し上
げようと、一生懸命に入れる。(もっとも、今では、ビジネスの
場で緑茶を入れて出すところは少ないかもしれない)。
 
役所の被災者係は、自分の都合を優先せず、被災者の立場にな
ってものを考える。
 
電車の乗り降り、階段でも「スマホ」にかじりついて他人の迷
惑になることはしない。その積み重なりが、プロフェッショナ
ルな人間をつくる。
 
プロフェッショナルな人間には、他者への素朴な愛がある。
 
ノートルダム清心学園理事長、渡邊和子さんが言われる「それぞ
れが、自分の居場所で花をさかせる」努力をする。
 
それこそ、動物とはちがう、人間というプロフェッショナルので
きることなのではないか。
と、なかなかできない私は、最近よく考えるのです。  
(2015/01/22)
 
 
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