FC2ブログ
プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

全記事表示リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

駅弁彩見16 広島駅 しゃもじかきめし

IMG_4070 (2)切り抜きV2
Scan0019切り抜き

JTB時刻表「駅弁細見」で24年半、時刻表読者、駅弁調製元各位その他多くの皆様にお世話になりました。
「駅弁細見」時代より、ますます多様化・発展しつつある駅弁を、また、皆様にお伝えしたいと、ブログ駅弁を展開いたします。
どうぞ、よろしく応援をお願いいたします。



IMG_4762 広島1309 


広島駅弁当は、創立から44年目の1945年8月6日、

原爆投下によって社屋焼失、広島駅も大破した。しかし、

2カ月後の10月には新社屋建設許可を取り、12月に

新社屋落成。原爆投下後広島市の建設許可第1号である。

その22年後に、「しゃもじかきめし」が誕生して46年。

地産地消、土地の名産を盛り込んで愛され続ける、広島

の代表駅弁である。その陰に、112年の歴史がある。



駅弁彩見16 広島駅 しゃもじかきめし 1150

広島湾でとれる、かき生産量は、日本一を誇っています。

 

『JTB時刻表 駅弁細見』で、「しゃもじかきめし」の

初めての取材は、26年前の1987年12月でした。

すでに発売から20年、広島の味になっていました。

 

プリッとして濃厚な美味しさが自慢で、この「しゃもじ

かきめし」には、そのかきが7個も盛られています。

 

味付けの煮かきが4個、カキフライが2個、ボイルした

かきのゆず味噌和えが1個。「多彩なかきを味わっていた

だく」という、作り手の気持ちが伝わります。

 

赤い宮島の杓子型の、持ち手の部分に、箸休めのじゃこ煮

と広島菜の漬物が、見た目よりたっぷり入っています。

 

かきや副菜との味のバランスを考え、薄味に仕上げた

「かきめし」といっしょにたのしめます。

ご飯と、かきのあいだには、たっぷりの錦糸玉子が盛

られ、薄味のかきご飯に、微かな甘さが加わります。

 

この味を保つかぎり、「しゃもじかきめし」は、これから

も、広島の代表的な駅弁でありつづけるでしょう。

 

売店:「しゃもじかきめし」は10月2日~3月の季節販売

広島駅構内の広島駅弁当売店、各地のスーパー

    駅弁大会にて

予約:取寄せ 駅構内での予約は、広島駅弁当()鉄道部

082-261-1678

       取り寄せ:不可

広島駅弁当:082-286-0181

 

 

広島駅1309 
昔の広島駅

 

旧本社社屋2広島1309 

昭和の広島駅弁当旧本社



立ち売り 広島1309 
広島駅ホーム立売風景 昭和32

 

掛け紙広島1309

明治・大正の掛紙 

  

掛け紙1 広島1309  

昭和の掛紙




創業112年 広島駅 広島駅弁当の歴史

黒字=駅 青字=広島駅弁当

 

1894(明治27)年6月――山陽鉄道が糸崎駅から延伸し、その終着として

開業。一般駅――――――――――広島駅開業

               8月――陸軍省の委託で山陽鉄道が広島駅―宇品駅間に

           軍用線を敷設(後の宇品線)

1897(明治30)年3月――山陽鉄道が陸軍省から広島駅―宇品駅間を

借り入れて同区間の一般営業を開始

        9月――山陽鉄道線が徳山駅まで延伸し、途中駅となる

1901(明治34)年9月――山陽鉄道線広島駅―宇品駅間休止

1901(明治34)年4月1日―山陽鉄道株式会社の承諾を得て、中島卯吉が

            中島改良軒を創業――――広島駅弁当創業

            (1896(明治29)年広島停車場で水了軒が弁当

の立売を開始した後を継承)

1902(明治35)12月――山陽鉄道線広島駅―宇品駅間再開

1906(明治39)12月――山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる

1909(明治42)10月――線路名称制定。山陽本線の所属となる。ただし、

            広島駅―宇品駅間は宇品線となる

1920(大正9)年7月―――芸備鉄道線(現在の芸備線)が貨物線として乗入れ

1920(大正9)2月―――中島剛男が中島改良軒を継承

1926(大正15)1月――芸備鉄道広島駅が旅客営業開始

1937(昭和12)年7月――芸備鉄道国有化、国有鉄道芸備線となる

1943(昭和18)年3月――戦時企業統制法により、広島駅構内営業者の中島

            改良軒、羽田別荘弁当部、吉本屋、海田市駅構内

営業者の山岡甲了軒、太田山陽軒の5社が合併。

広島駅弁当株式会社設立。初代社長に中島剛男

就任

1945(昭和20)年8月6日―原爆投下により鉄骨鉄筋構造の本屋駅舎が大破

1945(昭和20)年8月6日―原爆投下により社屋、工場焼失、仮設工場で

             事業継続

1945(昭和20)1012日―広島市松原町に新社屋建設の許可を取得。

              12月に竣工(原爆投下後広島市での建設

許可第1号)

1947(昭和22)年―――――北口(現在の新幹線口)開設

1949(昭和24)年2月―――広島駅構内在来線店舗第1号店オープン

1963(昭和38)5月―――区画整理のため若草町(現東区光町)に新社屋建設

1965(昭和40)12月――現駅舎落成(当時は広島民衆駅とよばれていた)

1967(昭和42)年――――「しゃもじかきめし」を販売

       3月―――2代目社長に三宅勲が就任

1969(昭和44)年3月――貨物取扱業務を新設の東広島駅(現在の広島貨物

ターミナル駅)に移管し廃止。旅客駅となる

1972(昭和47)年4月――宇品線廃止

1975(昭和50)3月――山陽新幹線が岡山駅―博多駅間開業により乗り入れ。

            駅北口を新幹線口に名称変更

         ―――新幹線博多開業により新幹線側8店舗開設

1977(昭和52)6月――3代目社長に山田信雄が就任

1986(昭和61)年6月――4代目社長に宮宗靖が就任

1987(昭和62)年4月――国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)

            の駅となる

1992(平成4)6月―――5代目社長に宮本幸雄が就任

            創業50周年を期にHIT50活動を社内展開

1993(平成5)8月―――第12回アジア競技大会広島1994の弁当公式

            サプライヤーになる

1994(平成6)年2月―――「夫婦穴子飯」を販売       

12月―――東区矢賀に新社屋建設移転、現在に至る

1999(平成11)年4月―――南口を全面改装。駅ビルテナントが「ASSE

            に名称変更

2000(平成12)年1月―――6代目社長に中島和雄が就任

2004(平成16)10月――山陽本線糸崎駅~広島駅間開業110周年記念

                            「廣島上等弁当]を販売
        4月――広島空港3階に郷土料理店「広島あじろや開店」

2005(平成17)年2月――広島駅新幹線改札口に自動改札機導入

       4月――会館施設等の運営事業、ケータリング事業部始動

       5月――病院給食事業への参加開始

2006(平成18)10月――国の経営構造対策事業として第3セクターの安芸

            高田アグリフーズ()を安芸高田市、広島北部農協

            とともに設立

2007(平成19)年4月――広島駅北口改札口にIC乗車券対応の自動改札機

            導入。以後、4月末までにすべての改札口に設置

2012(平成24)年7月――新幹線改札口とホームの列車案内LED表示機を

            フルカラータイプに更新。同時期に新神戸駅でも

            同型に更新された

2013(平成25)9月――現在に至る--------------広島駅開業119年

          ――――――――― 広島駅弁当創業112年


スポンサーサイト

老いる者と若さを重ねる者

IMG_4365.jpg

美術館で憩うひと(東京都現代美術館)


最近、JR北海道の異常事態について、新聞やテレビが様々な

報道をしている。

 

「異常事態」とは、列車を走らせるレールは、重量のある鉄道

車両が繰り返し走行することでレール幅が広がったり、沈下に

より左右の高さが不ぞろいになるため、定期的な保守点検が必

要になる。それがなされていなかった、ということらしい。

 

その結果、脱線事故が多発。すべて人間の命に関する問題であ

る。まさに、異常事態。

北海道は、仕事で主な幹線の駅には降りているが、幸い事故に

は遭遇しなかった。しかし、北海道で列車に乗るのが怖くなっ

た人も多いのではないか。

 

これが人間だったら、と考えてみる。

以下は、私の周囲で今月起きて、さびしい思いをしたことです。

 

大企業で、長年勤めて栄光も得た。定年直前、次の職場を得て、

人にものを教えて17年。

 

教えを受ける側も成長して、発言も増え、指導方法に満足せず、

さまざまな提案をするようになった。

 

大企業で温室育ちだったその先生は、生徒の発言が気に食わな

い。10月からの新期を控えて、後2回の講義を残した時、

ある生徒の発言を機に、突然、やめると言い出した。

生徒は唖然として、だれもなにも言わなかった。

 

授業の内容については、その世界も大きな変化が起きていた。

しかし、先生は依然として旧態のままの授業を望んだ。

 

変えられないのだ。

変えるために、なにが必要なのかが彼には、わからなかった。

 

或る技能には優れていても、そのほかの点も教師足りうるかは

疑問で、すべてに自分が上にいなければならぬ、ということは

ない。

足りないところは、同年代の生徒に聞いてもいいではないか。

 

5年、10年、17年と長い時間を共有している人間同士。

人の交わりとはなにか。守らなければならないプライドの中味

とは、何なのだろう。

 

この状態は、JR北海道同様、恐いのではないか。人間だから

恐い。人にものを教える立場の人間だから、なお怖い。

 

JR北海道は、事故が起これば批判の矢が飛んでくる。

人間は、年を取るほど、他人はなにも言ってくれなくなる。

恐いのは、お山の大将、裸の王様になること。

 

後のことを考えたのかという質問に、残った2回の授業も立派

にやったではないか、と答えた。残りの授業の責任を果たすの

は、当たり前である。その是非の判断もつかない最後の会話に、

悲しみさえ覚えた。

 

そんなことを言っているのではない。社会的に13名の生徒を抱

えた人間として、刹那的な発言で、あとの手当も考えず、やめた

いからやめる、と恥ずかしげもなく発言しているのを聞いて、

この人は、残念だが「老いてしまった」と思った。その結果、

 

13人の人間と17年間の短くない共有の時間を、ほうり投げた。

 

作家の伊集院 静は、「大人になるとは、どういうことか」と問わ

れて、「他人(ひと)に自分はなにができるか、と考えられること」

と答えた。

 

年の取り方に「老いる者と若さを重ねる者」という言葉が、南米

にあるという。できれば回顧趣味ではなく、若さを重ねて生きた

い、と願っている。                 2013/09/30

駅弁彩見 15 小倉駅 博多地鶏弁当

IMG_4070 (2)切り抜きV2
Scan0019切り抜き

JTB時刻表「駅弁細見」で24年半、時刻表読者、駅弁調製元各位その他多くの皆様にお世話になりました。
「駅弁細見」時代より、ますます多様化・発展しつつある駅弁を、また、皆様にお伝えしたいと、ブログ駅弁を展開いたします。
どうぞ、よろしく応援をお願いいたします。


1309IMG_4743 小倉mini  


1940年代、かつて太平洋戦争の時代、小倉には12師団司令

部がおかれ、門司港は軍隊運送の最前線要港であった。その

ため、当時の北九州の各駅弁会社は、空襲下でも大量の軍弁

調製の奉仕作業に励んだ。門司と小倉、行橋の2社、計4社

1942年戦時立法により統合。戦後の1947年に解散,各社

独立。さらに1956年、門司駅と小倉駅の2社が合併.北九州

駅弁当が誕生。明治から122年の歴史を刻む駅弁の老舗。


駅弁彩見 15 小倉駅 博多地鶏弁当 950円 
    

ふたを開けると、大きな鶏モモ肉の照り焼きが3個。

やっぱり、始めに鶏をほおばります。

キメ細やかな肉質の食感と、何とも言えない滋味に、

こんな味の鶏もあった、と思いました。

平成23年1月1日発売の駅弁です。

 

「はかた地どり」は、シャモの祖父、祖母がサザナミ、

これに肉付きのよい白色プリマスロックをかけあわせて

誕生した博多自慢の地鶏です。名古屋コーチンや比内鶏

ともまたちがう、美味しさです。

 

私は、2食分、目の前にありましたので、もう1個分の

鶏照り焼きも我慢できず・・・・。珍しいことです。

 

他に、辛子明太子、椎茸煮、松笠イカ、クリの甘露煮、

ニンジン煮などが、「はかた地どり」の美味さを引き立て

ます。

 

ご飯は少し濃い目の味付けで仕上げた、かしわ飯です。

かみごたえと、肉付き抜群の鶏の照り焼き、その他の、

トッピングの味が一体となって、いつの間にか食べ終

えてしまいます。

 

鶏肉がテーマの駅弁は、全国に数多あります。

ただ、同じ味のものは一つとしてありません。

お好きな方は、旅ごとに、異なる鶏の駅弁を召し上が

ってみるのも一興です。

 

 

売店:小倉駅  

予約・取り寄せ:いずれも不可

北九州駅弁当:TEL 093-531-0036


創業当時の石蔵屋の風景

創業当時の石蔵屋風景

右側汽車辨當の看板が見える


明治の門司港駅風景 

明治の門司港駅風景


3  

明治の作業場


4

昭和30年ころの売店風景


5

昔の掛紙


6

門司駅で発売の駅弁掛紙



7 

小倉駅で発売の駅弁掛紙   



創業122年 小倉駅 北九州駅弁当の歴史

黒字=駅 青字=北九州駅弁当

 


1891(
明治24)年4月―九州鉄道(初代)の駅として門司-小倉-大蔵-

黒崎間の開業時に開業――――小倉駅開業

1891(明治24)年4月――門司駅(現門司港駅)において石蔵屋(石蔵芳平)

            が九州鉄道株式会社の許可を得て弁当類の

            茶店を新設。食事、菓子、缶詰、お茶など

            を販売―――後の北九州駅弁当()創業

1895(明治28)年4月―現在の日豊本線が行事駅まで開通

1906(明治39)年4月――小倉駅にて松尾家(松尾文太郎)が九州鉄道

            株式会社の許可を得て弁当類の茶店(後の

            株式会社佳楽商店)を新設。弁当、お茶、

酒類、清涼飲料、果物、タバコ、雑貨を

販売

1907(明治40)年7月―九州鉄道が国有化、国有鉄道(当時は帝国鉄道庁)

           の駅となる

1908(明治41)年4月――石蔵屋は門司駅でホーム立売も承認された

1909(明治42)年4月――松尾家は小倉駅ホーム立売も承認された

1910(明治43)年――――門司駅茶店は待合室が電車道に採択されたため

廃業。弁当、寿司、サンドイッチ、お茶の立売

を専業にすることになった

1914(大正3)年――――門司駅は国鉄の事情により海岸寄りに移転。

           現在の門司港駅           

1915(大正4)年4月――新駅舎が落成し移転する

1941(昭和16)12月8日――太平洋戦争勃発以来、門司港が軍隊運送

             の最前線要港であったため、石蔵屋門司営業

             所は、軍隊用弁当調製に協力、終戦まで奉仕

作業にまい進。軍当局から感謝状を受ける。

終戦後は門司港が復員軍人や海外同胞の引き

揚げ港となり弁当供給に尽力。

佳楽商店小倉営業所は、小倉市が12師団司

令部の所在地で、軍の要請により空襲下でも

多量の軍弁調製の奉仕作業を続けた。たび

たび軍当局から感謝状を受ける

1942(昭和17)年6月2日――戦時立法により門司鉄道管理局の指示を受け、

             門司(石蔵屋石蔵三次郎)、小倉(佳楽商店松尾

文太郎)、行橋(滋養亭小松健治)、行橋(

稲田商店稲田仙太郎)4店が統合して

北九州鉄道構内営業有限会社を設立した

1942(昭和17)年6月11日―国鉄大里駅を門司駅に、門司駅を門司港駅

             に改称

1945(昭和20)11月―RTO(鉄道司令部)設置

1947(昭和22)年―――――戦時立法により設立の北九州鉄道構内営業

有限会社解散。各社独立の営業形態に復帰

1950(昭和25)12月――石蔵三次郎、門司駅構内営業株式会社設立。

            国鉄OB齋藤真が社長に就任

      同年同月――松尾三次郎、株式会社佳楽商店設立。社長

に就任

1955(昭和30)11月――門司駅構内営業株式会社社長斎藤真辞任。

            石蔵康作が社長に就任

1956(昭和31)年9月―――門司駅構内営業株式会社と小倉の株式会社

            佳楽商店が合併。北九州駅弁当株式会社発足

1958(昭和33)年3月――旅客駅が700m東方の現在地に移転。4階建

           (後に5階部分増築)民衆駅として開業

1961(昭和36)年6月――門司港―久留米駅間電化

1966(昭和41)10月―小倉―新田原駅間電化。同時に高架化

1975(昭和50)年3月――山陽新幹線岡山駅―博多駅間開業

1987(昭和62)年4月――国鉄分割民営化により在来線部分をJR九州、

            新幹線部分をJR西日本が継承

1998(平成10)年4月――現駅ビルが完成。北九州高速鉄道(北九州モノ

レール)が駅ビル内に延伸開業

2005(平成17)年2月――JR西日本改札口に自動改札機設置

2007(平成19)年7月――山陽新幹線上り日本駅始発の列車が新設

            さえる(こだま780)

2009(平成21)年3月――JR九州がICカードSUGOCAの利用開始

2011(平成23)年3月――九州新幹線全線開業に合わせて、南口は

「小倉城口」、北口は「新幹線口」に名称変更

2013(平成25)年9月―――現在に至る―――――小倉駅開業122年
              ―――――――――――北九州駅弁当創業122年

おばさん脚

Scan0035.jpg 

散歩の途中で(東京・新宿御苑)



「おばさん脚」は、2013年9月17日のNHK「あさいち」

の番組のタイトル。

始め、なんのことか、と思って見た。

つまり、電車内での女性の開脚の状態を揶揄(やゆ)、皮肉

ったタイトルなのだ。

 

“おばさん”のだれもが電車の中で開脚状態でいるわけで

はないが、確かに多い。前方に腰かけている女性のうち10

人に8人は、膝を開いている。おばさんに限らず、女子中高

校生のほとんどが開脚満開である。

悪びれずに満開である。

 

もう十年以上、いや、もっと前からの現象で、内心、私のよ

うな古人間には考えられない有様といっていい。

 

原因は、大腿部内側の内転筋が弱ると、椅子にかけたときに

開脚状態になるという。この内転筋は、鍛えられるチャンス

が少ないので「沈黙の筋肉」といわれているそうだ。

なかなか詩的で、素敵な名前だなあ、と思う。

 

番組では、その修正法として、「バレーの5番ポジション」、

女優釈由美子のペットボトルによる「ながらトレーニング」

足裏を見せながら歩く「内転筋ウオーキング」などを丁寧

に紹介している実用版で、さすがと思う。

 

ただ、現代は、かたち、見た目の方向からだけの視点で、

テレビなどで取り上げている。が、私の考えでは、内転筋

のまだ弱っていない、日本の、未来のレディー、女子中高

校生の現象を心配したほうがいいのではないか。と思う。

 

下町の酒屋のかみさんだった母ちゃんは、4~5歳のころ

から、子どもの私に口癖のように、

「女は死んでも膝を開いてはいけない」と言い続けた。

幼い時は、理由も解らず、念仏のように自分の胸に閉って

日常でなるべく実行した。

 

キチンと膝をそろえて腰掛けるという電車内での行儀の良

さは、内転筋を鍛える健康にもつながる。女の身だしなみ

は、結構、合理的なのではないか。

 

長じて、意味がわかると、いっそう、そのことが大切と思う

ようになった。時代劇で武家の奥方が自害の場面で、座して

二つに折った大腿部をひもで固く結んでいる光景も納得した。

 

日中友好が成立、田中角栄と周恩来が並んで椅子にかけてい

る様子をテレビでみたとき、日本人の私は恥ずかしかった。

 

両足を美しくそろえて座る周恩来の隣で、田中角栄は、大股

開きで極めて美しくない状態を見せていた。

テレビのこちら側から真正面から見ると、ことさら美しくない

ということを計算できるのも、その人間の能力ではないか。

 

“日本のあぐら”の習性だと思うが、国際社会で活躍する

日本人、特に政治家には美的感覚の必要性を感じた。

 

優雅な日本人を自然体で観せるのも、「おもてなし」の

一端ではないか。

                   (2013/09/18


ブログ村ランキング
応援のクリックをお願いします
著書の紹介
検索フォーム
アクセスカウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。