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プロフィール

塩入志津子

Author:塩入志津子
編集者・駅弁研究家
JTBガイドブック、旅、情報版など各種延べ800冊の制作編集に携わる。
1987年から2011年まで24年6ヵ月にわたり『JTB時刻表』巻頭グラビアページ「駅弁細見」を連載。北海道から沖縄まで、190社の調製元現場を取材、撮影、執筆。
賞味した駅弁は約1700食。
著書に『旬の駅弁名鑑800』(講談社)がある。

東京ガス主催「全国高校生駅弁チャンピオン大会」(テレビ東京系列)では、3年連続審査員を務める。ほか週刊誌などの雑誌執筆、セミナー講師、講演、TVなど。

ブログの文章トップで掲載の写真は、塩入が撮影。

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底至(そこいた)りの美学(新聞大学生の記)―60

 エッセー1711
2003年1月―旧新宿御苑温室

精緻な芸術としての根付
今はあまり目にしなくなって、骨董品扱いになっている
ものの一つに根付がある。
 
 明治生まれの亡き父も二つ、三つ持っていた記憶がある。
 
江戸時代に、印籠やたばこ入れなどの「提げ物」が男性
用の装身具として使われるようになり、その留め具として
作られたのが根付だった。
 
材質は、黄楊(つげ)、黒檀、一位の堅い木や、象牙など。
形はさまざまで、動植物、面、人など。大きさは数cmか
ら1cmほどのものまである。
 
富裕層が所持したものは蒔絵や象牙で作られ、金に糸目
をつけない芸術性が「細密工芸の華」といわれ 海外の蒐
集家も多い。
 
 日本の蒐集家としては、明治~昭和期の実業家、郷誠之
助と高円宮憲仁親王が著名である。
 
将棋棋士九段・佐藤康光さんに学ぶ
この根付について、将棋棋士九段の佐藤康光さんが、2016年
5月29日の読売新聞 「アート散歩」欄、特別展「根付と提げ物」
(たばこと塩の博物館)に寄稿されている。
 
「ふだんは羽織の下に隠れて目立たない根付ですがこのよ
うな目にみえないところにお金をかけることを「底至りの美
学」というそうです。日本の古き良き時代の文化を実感しま
した。」と述べていらっしゃる。
 
 ここで、私は「底至りの美学」なる言葉に初めて出会った。日本
語の表現は奥深く、一生のうちにどれほど学べるだろう。
 
 さっそく、三省堂『新明解国語辞典』2005年版で調べたが、記載
がなかった。
岩波書店『広辞苑第六版』によると、
外観は美しくないが、表に見えないところが念入りで精巧な
こと。
酒、寸南破良意「キセル・たばこ入れなどで、――を好み」
と、ある。
 つまり、「キセル・たばこ入れなどで底至りを好み」という文
章例です。
 
しかし、広辞苑の記載もこれだけでは、酒、寸南破良意の意味が
わからない。広辞苑以外で調べると、
 
上記の 酒、寸南破良意 は、
『寸南破良意(すなはらい)』というタイトルの、落本(
ゃれぼん)の意味で、
作者は、南鐐堂一片(なんりょうどういっぺん)。1775(安永
4)刊 とある。
(酒落本とは、江戸時代に発達した遊里(遊郭)文学で小説の一様式)
 
アメリカ独立戦争時代の言葉
この洒落本作者の時代は、アメリカ独立戦争(1775)が始まっ
た年。日本では俳人の加賀千代女死去の年代で、290年前の江
戸の書物に、この言葉があったことは判る。
 
本当は、この言葉が江戸時代に生まれたかどうかは不明だ
が「底至り」の言葉の背後には、日本古来の和歌、室町時代
の能、俳句、茶道などの道の世界、いや、もっと上流にさかの
ぼる日本人の精神世界の伝承など。日本人が育んできた伝統的
文化の積み重ねがあると、思う。
 
フランス人が「フランス語は世界一美しい」と誇るように、
言葉は、その国の象徴であり国の宝といえる。
 
「底至りの美学」の言葉から、「日本の古き良き時代の文化
を実感しました。」と、執筆者の佐藤康光さんは述べている。
 
武士のたしなみにみる底至り
大阪夏の陣の戦いにのぞんで死を覚悟。髪に香を焚きしめた
という豊臣家家臣木村重成。討ち死にした重成と対面した家康
は、「さすが武士の鑑」と称賛したという。
 
幕府の贅沢禁止令に反抗して、羽織の裏に大金をかけた贅沢
に、高度なユーモアと江戸商人のこころ意気に喝采したくなる。
 
私は、この話を、東京浅草の小学校の歴史の時間に先生の余
談として学んだ。
小学生の頭では、ただそれだけの行為と受け止めた。しかし、
脳裏には残った。
 
「底」という言葉には、ふつう頭に浮かぶ意味のほかに、物
事の極まる所、こころの奥、真の力量などの意味がある。
 
見えないところに贅をつくす、という美学は、日本人の謙虚、
粋のこころ、こころ極まるところ、を追求したもので、日本人
の精神性として流れている、というか、流れていたと、いうべ
きか。
AI時代の底至りの美学
 「米国では、スマートフォンが、早くも『つまらないものだ』
と飽きられている。-----これからはスマホの次に来るものが何
かをいち早く探り当てることが非常に重要なテーマになる」
という話を最近、耳にした。
 
時間と社会の流れが、仰ぐ流れ星か超高速機のように感じる。
 
AI時代の日本では、若い世代が「別の表現」で、「底至りの美
学」を継承してくれるかもしれない。などと楽観している。
その変化を長生きして、みてみたいものだと思う。
 
2016年のある日の新聞から、ある言葉の意味を探ってみて、
日本語を身につける大切さを、ゆっくり、痛感しています。 
                         (2017/11/24) 
 
 
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ふりかえるー59回

 エッセー1707
散歩の途中で 2017年5月
 
 私は、14歳まで、東京市浅草区にある酒屋の娘でした。
兄4人、姉3人、8人兄弟の末っ子です。
 
日本堤(にほんづつみ)を越えた吉原(よしわら)遊郭街(ゆうかくがい)の各店へ、自前瓶詰の日本酒
を毎日配達する家業で、酒、味噌醤油、塩などの小売りも
行っていました。

南千住行き市電が走る、停留所から二つ目の角店(かどみ
せ)で、大晦日には、店の軒の左右に大提灯が二つ下がり、
赤々とともる灯が今も心に、滲んでいます。
 
 昭和12年、私が6歳ころの戦前の町の時間は、ゆっくり、
流れていました。
 
馬が荷物を引いて店の前をパカパカと歩き、落とし物をし
て行きます。早朝の家々は、、豆腐や納豆をリヤカーにのせ
て、トーフーと笛を吹きながら通り過ぎるのを呼び止めて、
朝ご飯に間に合わせます。
 
浅草の浅草寺(せんそうじ)裏に大黒家(だいこくや)という天ぷら屋があり、今も健在
です。5~6歳のころ、夕方になって気の向いた時、父は私
の手を引いて、大黒家で一杯やります。板わさに酢のモノと
日本酒。私は天丼。
 
 天丼は、ふたに、海老を全部移動させます。天つゆの浸み
たご飯が私の好物。お新香と澄まし汁と天つゆご飯。
 
 父は、黙って、最後に私がよけた海老の天ぷらや食べきれ
なかったご飯を食べてくれます。終わると、一息ついて、
父は、徳利や盃、皿などをサッサッときれいに並べます。

それからが、子どもの私には、大変です。
 私は、天丼の器と汁椀、箸置きと箸、すべて注文して運
ばれたときのようにきちんと並べます、
「ハイ、もう一度よく見て、きれいかな? じゃ、帰ろう」
と、手をにぎってくれる父。
 
店を出ると、歩きながら、自分が食べた後は、景色をきれ
いにしておくんだよ。一度ふりかえるんだよ。そうすると、
自分も店の人も気持ちがいいからね。と、いつも同じことを
繰り返す。
5~6歳の子供は「うん」とか「はい」というだけです。
 
 昭和20年3月10日、浅草の大空襲で父が逝って、72年と
いう時間が過ぎた今の私の中に「ふりかえる」というのは、
確認、チェック、見直し、謙虚、先を考えた安全性の追求な
ど、さまざまな表現と意味をもって定着しています。

 
バレリーナは、レッスンを1日休むと自分に分かり、2日
で周囲にわかり、3日で観客にわかる。という。

出版の世界では、最近は、デジタル化しているが、それで
も、書物にするまでは、編集者はあらゆるチェックを繰り返
します。そしてやっと1冊の本になる。

かつて、岩波書店の書物に誤字脱字はない。という時代が
ありました。書物をつくる人間なら、それがどれほど誇りで
あり、とりわけ日本語の場合、大変なことかわかるので、長
い語り草になっていました。
 
 女の化粧も日々、自分の確認、チェックであり、その顔も
「履歴書」になりつつある時代。 
 
月商が1億の会社も、1千万の会社も、フリーで100万の
芸人も基本は同じ。1点500円のイラストレーターも、自分
の作品や商品は、己を表すと思えば、どのような些細な点も
おろそかにはできない。必ず何度もチェックするという姿勢
をもつのは当たり前。
 
 そのような会社や個人や芸術家、アスリートたちが成功し
ているのではないか。

そして、成功したあとも日々振り返らないと、さらなる発
展は止まり、止まるだけではなく、立つ位置によっては社会
的、国家的損失までおこしてしまう。 
 
 その例が、福島原発による東北の方たちの被害であり、1
兆円負債のエアバック・タカタであり、東芝なのではないか。
 
個人でも組織でも、政党でも、振り返らない体質が日常に
なってしまったら危険だと大きな声を上げるのも、上げない
で、何十年もつつがなく過ごすのも、源は、それを構成して
いる、個々の人間の問題です。
 
 明治生まれの父は、「食後の景色をきれいに」ということ。
もう一つ、「食事中に首から上に手を触れないこと。とり
わけ、髪の毛に触れるな、と、やかましく言われました。髪
の毛は汚れのはげしい部分で、食事中に手を触れると無作法
になる。というのが父の言い分でした。

パブロフの犬のように、条件反射の訓練が功を奏し、後年、
私がちいさな会社を持って、他社のいろいろな役職の方との
食事の際のバイブルになりました。
 
終戦後5年、昭和25年に逝った母のことも、ちょっと。
 
やはり、私の5~6歳のころから、母の口ぐせは、「女の子
は、どのような場合でも、死んでも両膝をはなしてはいけな
い」でした。古いですね。
 
でも、道で落とし物をひろう時、女性は、両膝をつけてひ
ろうと、姿がきれいです。
 
5~6歳のころから、こんなことをやかましく、言い続けて
くれた、明治時代に生まれ、育った両親が、私は大好きです。
 
                              2017.07.11
 
 
      

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新聞大学入学の記―58回

1704エッセー 
「新聞大学」から新知識人が生まれる!
 
新聞を読んでいらっしゃいますか?
 
私は、本年1月『新聞大学』(扶桑社)に入学しました。
ある日、書店で、本の帯のキャッチが目に飛び込んで
きました。
日々、脳力が 上がる!
学費ゼロ 毎日届く 自宅でできる 最新の情報満載
とあります。
 
なんと、好条件。さらに、入学金(本の価格)は1080円。
 
指導は、外山滋比古(とやましげひこ)先生。94歳。英文学
者、文学博士、評論家。思考、日本語論などの各分野で
創造的な論評を展開。「知の巨人」と称されている。
 
私は、『思考の整理学』(ちくま文庫)以来、勝手に師
と仰いでいる方であります。
 
 学者ではあるが、難しいことはおっしゃらず、ひたす
ら、知を磨きなさい。そうすると、豊かで面白い人生が
おくれる。そのためには、こうしてみては?という考え
を提供してくださるのが、私が尊敬する由縁であります。

「章1“見出し”読み」から「章28読み方」まで220
ページ。テキストの新聞記事各分野の懇切丁寧なガイド
と、その読み方について大切な見解が述べられている。
 
入学してみて、あらためて多くの「反省と気づき」に
驚きました。
例えば、最終章にあたる「章28読み方」では多くの
触発の火花を浴びた。これは著者が最も言及したかった
ことではないか。
 
アルファー読みとベータ―読み(中見出しは塩入.以下同じ)
読解力には、アルファー読みとベータ―読みがある。
教育のほとんどは、日本をはじめ、世界でもアルファー読
みによってよしとされてきている。
 
アルファー読みとは、あらかじめ、よく知っていること
を書いた文章を読むこと。---小学校の読み方は、この読
み方としてよい。
ベータ―読みとは、簡単にはわかりにくい、不知、理解
困難な内容の文章が読めるようになること。
 
いまの人は、昔もそうだったが、読むということを誤解
している。つまらぬことは読める。よく知っていることを
書いた文章ならわかる。
しかし、少し難しい内容の文章はわからない。おもしろ
くない、と言って放り出す。本当に、ものが読めていない
のである。
 
学校教育のひづみ
学校教育のせいである。 しっかりモノゴトを理解する
ことを学校は教えてこなかった。
 
さらに著者は、大変恐ろしい結論を出している。
 
近代教育の悩みは、ベータ読みのできない人間を、読め
るとして社会に送り出していることである。
 
大部分の人がアルファー読みだけで一生を送ることにな
る。
 これは、わが国だけのことではない。欧米先進国におい
ても似たりよったりである。-------。というより日本の
ほうがよいかもしれない。------。我が国には漢文の伝統
があったからである。
 
トモアリ、エンポウヨリキタル、マタタノシカラズヤ

と、読んで聞かせる。子どもはワケもわからずそれを口
誦(こうしょう)する。チンプンカンプンであるが、わからな
いからわかろうとする。それで、ベータ―読みが始まるの
である。

新聞大学では、新聞を読むことに終始する。しっかりし
た読みの力がなくては、話にならないが、学校教育で、ベ
ータ―読みの力をつけられない現在、学力不足は深刻な問
題になる。
 
大学出の人が、人をバカにするな、われわれは、読む力
は充分にもっている、と言うかもしれない。
 
新聞くらい読めなくてどうする、などと言っている人で
も社説を愛読するというのは少ない。アルファー読みでは、
社説は歯が立たない。
 
 社説をおもしろいと思うことができるようになるには、
読みの教養が必要であるが、現在の教育はそういう学力、
知力を育むことを考えない--------------。
 
知識の更新で老化防止を 
若い時、学校で学んだ知識は賞味期間がある。三十年
もすれば、使いものにならないのが増える。
 
そうなる前に、知識を更新しなくてはいけないのだが、
それに気づく人もかぎられているから、知的荒廃が起こ
り、ひいては健康を害することになる。
 
年を取ると、体力が衰える。それは見てわかるが、頭
も衰えるが、それは目に見えないから、まず頭から老化
が進むということが多い。

ことに高等教育を受けた中高年は、知力の弱化が老化
を早める傾向が強い。
 
広く、知の世界に触れて、古くなった知識を新しい知
識に入れ換え、新しい知識にすることを目指す。
 
新聞大学から新知識人が
そういうことのできる学校は、これまでなかった、と
言ってよい。新聞大学はそれができるほとんど唯一の道
である。

意志と努力があれば、新聞大学は一般の教育機関ので
きないことを成し遂げるかもしれない。新しい知識人が
生まれる可能性はかなり高いと言ってよいだろう。 
新聞大学は世界に誇ることができる。
2016年 秋 外山滋比古
 -------------------------------------------
以上、『新聞大学』からのほんの一部分抜粋です。
私は、日々、ベータ―読み完読による脳力アップと、
老化防止を期待して、今日も、新聞に定規(じょうぎ)
あてて、切り抜きに励んでいます。  (2017/04/12)
 
 
 
 
 
  

よく死ぬことー57回

エッセー1702 
命の輝きを大切に・2017

 ケインズと言えば、イギリスの大経済学者だった人だが、
なかなかしゃれていた。
 ”長期的にみると、われわれはどうなっていくのでしょ
うか“
ケインズ先生に向かって、記者会見で代表記者が質問した。
折しも、イギリスは大不況にあえいでいた。いつ、ここからは
い出せるのか、世間はそれを知りたがっている。大先生ならあ
りがたいご託宣がいただけるのではないか。記者たちから期待
の注目を浴びたケインズ先生、
 
 “さよう”
と言って,ひと息入れた。
 “長期的に見れば、われわれは・・・”
と言って、ひと息いれる。
 “われわれは、みんな死んでいるね”
それを聞いた記者たちはどっと笑った。いいね、さすがだ
ね、えらいもんだ、と喜んだ。答えになっていないが、そん
な難しい問題をごてごて論じてみてもしかたがない。それよ
り笑いとばした方がいい。イギリスの新聞記者は笑って感心
した。日本の新聞記者諸氏ならどうしただろうか。
 英文学者 外山滋比古の『ことばの作法』(PHP文庫)の一
文です。

みんな死んでいるね。とケインズはユーモアで返したが、
本当に、「死」はだれにも、訪れる。そして最近は、かつては
避けていたこの問題と真剣に向き合う姿勢が生まれつつある。
 
 死を全き現実として受け止め、『よく死ぬことは、よく生き
ることだ』(文春文庫)として1987(昭和62)年に、46歳で亡く
なった、千葉敦子というジャーナリストがいました。

千葉敦子は、上海で生まれ東京で育ち、学習院大学を出て、
東京新聞に入社、経済記者となる。後、ハーバード大学のニー
マン奨学生として留学。帰国後はフリーのジャーナリストとし
て活躍。海外の新聞や雑誌に記事を執筆。後、渡米。

1983(昭和58)~1987(昭和62)年に死を迎えるまで、ニュー
ヨークのマンハッタン グリニッジ・ヴィレッジに住んだ。
記憶に間違いなければ、彼女の存在を知ったのは、1981年
に左側乳癌の手術。その手術前の自身の肉体を、私も知る写
真家に撮影を依頼し、掲載した著書『乳ガンなんかに敗けられ
ない』(81年文芸春秋)に接したからです。
なんと勇気のある女性だろうと。
 
彼女は、3年半のニューヨーク暮らしで自分の生命を最大限
に燃焼させた。ガンの再々発、小脳への転移、声を失うなど、
を受け入れながら、よく遊び、よく働き、良き友人の助けをか
りながら病と向き合い、病を冷静に見つめ、その記録も残した。
 
多くの著書から汲み取れるのは、彼女の死後30年経っても、
なお残る日本の後れた諸問題に正面からぶつかり、努力と実行
の人生でもあった。ことです。例えば、
 
差別について、
 「私は生きて何をしたか」を振り返ってみるとき、ほんの子
どものときから、女に対する差別と闘ってきたことは、明々白
白だと思う。私の両親は「女らしく」などと、ひとこともいわ
なかった。
--------しかし、よその親からも教師からも、長じてからは同
僚からも上司からも、取材先からも編集者からも、なんという
差別と蔑視を受け続けてきたことだろう。
 
一つ一つ砦を崩し、差別的な発言にはいちいち文句を唱え、
若い女性たちを励ます-----ということをやってきたつもりだが、
日本の社会の歩みがのろいのには、いまさらながら驚いてしま
う。と、述べている。
 
●日本の女性
2016年現在、日本の女性の地位は世界105位。国威とそぐわ
ぬ数字(30年前はもっと低い)に、千葉敦子というジャーナリス
トは30年前に嘆いた。
「教育水準の高い日本の女性の地位の低さはなぜだろう」
「日本の社会の歩みののろいのには、いまさらながら驚いて
いる」
「アメリカ社会にも旧弊の残骸が残っていないわけではな
い。しかし、十分とはいえないにせよ、社会のあらゆる分野
に女性が進出をはたした現在(1987年-塩入)では、日本との
比較など、もはや成り立たない。(『「死への準備」日記』
 
日本の女性の地位は、2016年10月世界経済フォーラム(WEF)
世界136カ国中105位。フィリピン5位、中国69位、韓国111
位。
 
日本人男性の女性蔑視
その人の妻まで同席している場で、キーセン・パーティーの
あとのお楽しみを得々と披露した人がいた。こういう時、私の
はらわたは煮えくりかえる。
―女性に向かって公の席で「大年増の厚化粧--」と、前石原都
知事は暴言を吐いた。まだ昨年2016年の話である。女性問題と
男性の問題は切り離せない。
 
家族について
 最後の著書『「死への準備」日記』によると、両親とも戦前
に警察に捕らえられ、1932年、母は17歳のとき、東京の両国
署で、特高係二人に全裸にされ、さかさに吊るされて脚を左右
にエイッと引っ張るという拷問を受けた。という体験があるこ
と。
子どもに対する干渉はしない親であり、両親ともに、世間に
どう思われるかを気にするよりも自己の信ずることを行うのが、
人生に対する基本的な態度であること。
彼女がガンの病を持ちながら、家族の住む東京からあえてニ
ューヨークに居を移したのは、自立と、人生に求めたものを得
るためだった。
 
ガンの再々発、最後は小脳の腫瘍になりながら、死の2日前
まで原稿を書いたという。
 
遺言として、著書の印税は、日本人以外のアジア人ジャーナ
リストの活動に残した。
 
根拠として、彼女の1か月の生活費3000ドルで数か月は暮ら
せる国がアジアにはたくさんあること。しかし、金額よりも、
精神のほうがもっと重要。
言論抑圧に抵抗しているジャーナリストの仕事を認め、励ま
す義務が、言論の自由を行使している日米双方のジャーナリス
トにあると、私は信ずる。
 
そして、健全なジャーナリズムの存在がアジアの平和のため
には絶対不可欠と私は考える。としている。
 
そして、私の葬式はなしで、遺体は病理解剖ののちに火葬
してもらい、骨だけ東京の家族に送って----。と記す。
 
彼女は、真に自立した女性です。
個人の尊厳を自他ともに守り、生きる場所はニューヨークが
適していると判断したら、さっさと居を移す。
 
確かにニューヨークは魅力的だ。私は彼女が現世を去った3
年後の1990年に初めて渡米。黒人女性が胸を張って、カッ、
カッと高いヒールの音をさせながら闊歩しているエキサイティ
ングな街には、エネルギーに満ちたアメリカの風が吹いていた。

 だれもができないことです。さらに彼女は、私の一番聞き
たいことを、このように述べていました。
 
「この世で本当に価値あるものは、愛、友情、セックス、美、
新鮮な空気、快適で刺激のある環境、健康、精神的な安寧、自
尊心、精神的成長、内面の充実、冒険心というようなものであ
り、お金で買えるものは、ほんの少ししかないように思います」
と。(『よく死ぬことは、よく生きることだ』87年 文芸春秋)
 
 「よく死ぬことは、よく生きること」を身をもって行い、そ
して逝った、ひとりのジャーナリストを私は一生忘れないでし
ょう。                                             (2017/2/14)
 

医 というもの-56回

エッセー 
くる年も全開で
-2016

 
 11月23日に左の小指の骨が2か所折れた。
 
筑波山までのドライブをしょうと、92歳の姉、同年の女性、
発案者の姉の友人の男性という4人のメンバーだった。
 
 まだ全山紅葉とまではいかないが、山麓のケーブル乗り場
は混雑をきわめ、たくさんの家族連れの和やかさが温かな風
を運んでいた。
 
 昼の食事を済ませ、車へ戻ろうとしていた。
90歳よりは若いので、車を止めた場所を見つけて私が案内し
なければと、ちょっと忙しく歩いていた。
 
 突然、足をとられて気が付いたときは、両腕を広げて車間
の地面と仲良くなっていた。
 痛みなのか、気力が失せたのか、しばらく起き上がれなか
った。そのまま、どうしたのだろう、と考えていた。
 
 近くの車から男性が飛びだしてきて、大丈夫ですか? と
話しかけてくれたが、返事もできない。同行の男性が手を取
って起こしてくれた。車に足をかけるのもやっとの状態で座
席に収まる。
 
 左あごの部分が痛いので、鏡でみると、赤紫のあざが首に
かけて浮き出ていた。顔の真ん中ではなくて、よかった神様。
時間がたつにつれて、左手の小指部分を中心にあざが赤紫
色にかわってきた。
 
 あら、またやってしまった。これは、骨折の内出血の知ら
せだ。痛みも増してきた。
 翌日、転居して初めての医院探しをした。幸い、目と鼻の
ところに整形外科医院があった。
 ともかく、骨をくっつけていただかないと。片手で顔を
洗い、食事もそこそこに出掛けた。
 
 ドアを開けて、すぐ目の前に受付があった。患者は15席
ほどの椅子に座って待っている。なんとなく雰囲気が暗い
のが気になった。
受付へ歩き出した時、大きな声が放りなげられた。
「ここは、首から上はやらないから、顔の人は口腔外科へ
行ってください」
 確かに、転んで、左側のあごの部分が首へかけて4~5セ
ンチの赤あざになっている。
でも、経験で、このあざは時間がたてば、消えると確信があ
ったので、心配していなかった。しかし、この医院の看護師
とおぼしき女性は、いち早く、それを見つけて、帰れ、と言
っている。
 
 それも、遠くから大きな声を張り上げて、初めて来た患者
へのいたわりなど露ほどもなく、医院の立場を守るためだけ
の言葉に聞こえた。
 「指の骨折らしいので来たんんですけど」 
と、その看護師を無視して、受付に行った。
 
 大分待って院長の診断を受けた。
65~70歳に見えるその医師は、横柄だった。説明を求め
られたので、なるべく、転んだ状況をくわしく話そうとする
と「そんなこと関係ない」と吐き捨てるように言う。ひと昔前
の尊大な医者の態度だった。今は、IOT の時代だぞ。
 
レントゲン写真を見ながら、こことここが折れているよね。
と、立っている傍らの看護師らしい男性に同意をもとめてい
る。
はて、今まで、東京で会った外科の医者は、レントゲンを
みながらはっきり診断を下して、処置方法を説明、手術する
か、治療しながらどの位で完治するかをてきぱきと説明して
くれた。
この医者はおかしい。診断の生命ともいえる、レントゲ
ンの診断も自分でできないのか。できなかったら、患者の
前では、恥ずかしくないように、相談して結論をまとめて
から患者を呼ぶくらいの頭の回転がほしい。
 
 1日目は、そんなことを感じた。しかし、この付近で外
科はあまり見当たらず、遠方では痛む指を抱えて通うのも
大変だ。という思いもあった。
 
翌日、治療士が、骨を正常にもどすための手術をした。
その施術は、すごく痛いから声を上げてかまいません。と
いわれたが、我慢してなにも言わなかった。
 
3日目土曜日、治療に行くと、医師は休みで、看護師が
血圧が高いので、電気治療ができない。包帯だけ変えとき
ます。という。そのように、言いつけられているのだろう。
つまり、それでなにか不祥事が起きた時、責任を問われ
る心配をしているだけで、この医院には、保身の哲学しか
ない。
こんなところで、1本しかない小指の治療をしては、さ
んざん働いてくれた小指に申し訳ない、と思った。
 
この医院には、毎日、多数の老齢者が足をひきずり、家
人に支えられながら、通ってきている。
 
3日間、同じ顔に出会っている。レントゲンも読めない
医師が判断して大量の患者を抱えて、医院を経営。流れ作
業で、はい、一つ上がり。の料金収入。
商売に徹するなら、商人らしく上質な対応をせよ。わず
か、30分くらいで私が1日目に払った金額は、3470円。
1割であるから、3万4700円の売り上げの客である。
 
お金というのは、価値に見合えば高低はない。しかし、
申し訳ないが、今回の医院では、疑問だらけである。
 そして、医療って、なんだろう、と思った。
 
東京で、数年前、ホットケーキを焼いていて、熱いバタ
ーが顔にはねたことがある。近所の外科医院の先生は、「
まったく、大事な顔を、気をつけなくちゃ」と大きな声で
叱りつつ、笑いながら薬をぬってガーゼをあててくれた。
20日くらいで治るよと、明るくはげましてくれた。その一
言に救われた。

私は、左ほおに縦10センチほどのガーゼをつけながら、
飲み屋で仲間に慰められ、冷やかされながら平気だった。
あのお医者先生が治してくれる、と思えたから。

1日、何百人もの受診者を抱える東京、慶応病院の受付
の女性は、右手首を折った私に、「ああ、今日は、ちょう
ど腕の専門の先生の日でよかったですね」と、にこやかに
話してくれた。

人は、病んでしまったとき、孤独になる。その時、治癒
を願って訪れた医院で適切な処置と、ほんの少しの温かな
言葉があったら、どんなに慰められるだろう。
 
 毎日、同じ仕事をしているうちに、その対象がモノに見
えてきたら危険だと思う。先の女性看護師は、人間として
も無礼で、内に傲慢さがあった。それは、医者にも通じて
いる。いや、反対現象でしょう。
 
年の終わりに、あまりいいお話ではなくて恐縮です。
 
その後、ケガをして4日目に、たまたま知人に出会って、
同じ医院で同じ感じ方をして、ある誠実な整骨院で完治し
た話をきき、毎日真面目に通院中です。年内には包帯もと
れます。
2017年の新年が、素敵な年になりますように。
                    (2016/12/21) 
 
 
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